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Dog photography and Essay

Dog photography and Essay

広西--桂林旅情2



「桂林旅情6」

「中国写真ライフ」では、
広西自治区「桂林」の写真を公開しています。

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独秀峰を下って行く途中の険しい岩肌に
中華民国の時代に彫られた石刻が沢山見られた。

かなり険しく切り立った岩肌へ一体どうやって
彫ったのかと考えてしまうほど危険な場所にある。

中国の山々の岩肌に文字を彫り付ける石刻は
中華人民共和国成立した1949年10月1日以降
暫くしてより景観を損ねる事から禁止された。

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「秀奪群峰」と彫られた文字の意味は、山々が
連なり美しい景色だが、独秀峰は麗しく
峰々の中で勝ち誇っていると解釈すればよい。

「卓然独立天地閣」は桂林の山並みの中で
ぽつんと一つだけ立っており、またその姿は
天と地にも一際優れていると詠んだ詩である。

下の石刻になると書体そのものも違い
私には一部分の文字しか分からない。

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「桂林旅情7」

「中国写真ライフ」では、
広西自治区「桂林」の写真を公開しています。

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独秀峰の岩盤を打ち抜き造られた洞窟には
60体の「太歳」が彫られており生まれ年で
自分の「太歳」が決まる民間宗教である。

太歳は古代中国の天文暦学において設けられ
木星の鏡像となる仮想の惑星から成る。

木星は古代から知られ観測されてきた。
中国の文明でも神話や信仰の対象となった。

木星は天球上を西から東に約12年で1周し
十二支を作り出し太歳紀年法へと進んだ。

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洞窟には道教が信奉する60名の星宿神が
彫られており各星宿神の名前は十天干と
十二地支とを用い日本でもお馴染みであり
自分の生まれた太歳の前で手を合わす。

洞窟内は撮影禁止でシャッターに手を乗せても
かなり大きな声で制止されるので、一旦外へ出て
レリーズを付けて警備の者と会話しながらも
ポケットの中でシャッターを切った。

下の写真は洞窟を囲う壁に空気口が開いており
そこからレンズを入れ撮影したが、案の定、後から
「こらーっ!」と、私は笑うしか術がなかった。

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「桂林旅情8」

「中国写真ライフ」では、
広西自治区「桂林」の写真を公開しています。

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独秀峰の洞窟から出て孔子の廟へと向った。
孔子の論語の中で誰もが知る言葉は
吾十五にして学に志す。三十にして立つ。
四十にして惑はず。五十にして天命を知る。

中国では孔子や孟子の論語の心や儒教の
精神が礎となり礼儀正しい国を創り上げた。

だが、文化大革命で孔子や孟子の思想は
徹底的に破壊され、子供達に孔子の人形を
銃で撃たせたという行為にまで発展した。

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現在の中国を支える50.60代の国民のほとんどが
文化大革命で儒教の精神は無残に破壊され礼儀を
忘れ去り、その子供達が社会に出て来ている。

孔子は、過ちは仕方のないこと。過ちを犯しても
改めようとしない事こそ真の過ちと説いた。

また孔子は、人が自分の事を知らないことなどは
気にしなくとも良い、自分自身が人の事を
知らないという事を気にせよと説いている。

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写真の孔子の石板を背負っているのはヒイキと呼ぶ
龍の1番目の子供で重きを負うことを好むと言われる。

ヒイキを漢字で書くと「贔屓」で、日本では
江戸時代の頃から歌舞伎で使われていたが
「ご贔屓に預かり有難うございます」など現在でも
多くの商売人や役者が使う言葉でもある。

また贔屓の前に「依怙」を付けた「えこひいき」が
龍の1番目の子供の贔屓からかどうかは分からない。

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「桂林旅情9」

「中国写真ライフ」では、
広西自治区「桂林」の写真を公開しています。

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明の第一代皇帝朱元璋は桂林の靖江王を
甥の朱守謙に任命し1370年、築城した。 

清代には科挙の試験場として使用され
孫中山が北伐時の拠点とした事でも知られる。

独秀峰は広西師範大学の敷地内にあり別名を
「紫金山」とも呼び、南京の紫金山と同じである。

科挙とは現在の国家公務員採用試験の受験と
同じではあるが、写真でも分かる通りに
試験を行う所が一人一人壁で仕切られている。

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私も中へ入り座ってみたが、これなら
容易にカンニングが出来そうな気がした。

高校の頃はカンニングする小道具を1週間前から
真剣に作り、当日机の下に画鋲でスライドさせ
試験官が遠ざかると引っ張り出し試験官が
近付くと腹で机の中へ押し込んでいた。

実際には小さな字で各教科ごとに厚紙で作り
ポイントを書き込んだので自然に覚えて
カンニングをしなくとも問題は無かったが
冷汗もののスリル感からは抜け切れなかった。

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「桂林旅情10」

「中国写真ライフ」では、
広西自治区「桂林」の写真を公開しています。

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桂林独秀峰の写真画像も最終ページとなり
明日よりは船に乗り漓江下りの画像になる。

岩肌に彫られている「桂林山水甲天下」が
一番知られている石刻であるが、上の画像は
「読書岩」と書かれており423年の南北朝時代の
文学者である顔延之が読書岩の下の洞窟の中で
読書をしたと言い伝えが残る場所で知られる。

顔延之は桂林の市長として都より赴任し後に
後漢の第2代皇帝の幼き頃の教育係をした。

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独秀峰を有する靖江王府は明王朝の建国後
10年の歳月を掛けて1393年に完成している。

城壁の表には石を積み上げ固められている。
東西南北にそれぞれ門が設けられている。

清代に科挙の試験場として使われ、中華民国では
孫文が北伐の司令部を置いたことでも知られる。

現在では広西師範大学のキャンパスになっており
門を出る時に広西師範大学と気付いたほどに
敷地は広く自然があふれ心地良い印象だった。

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「桂林旅情11」

「中国写真ライフ」では、
広西自治区「桂林」の写真を公開しています。

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漓江は桂林市内を南北流れ438キロあり
漓江下りは桂林から陽朔までの83キロを
遊覧船で下り奇峰を縫うように行く。

晴れた日には川面に山が映え美しいと言うが
1995年に来て以来3回共、小雨日よりであった。

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だが、雨の日には水墨画のような世界が現れる。
私は展望デッキに上がり、雨に濡れながらも
シャッターを切り続けたが「奇山秀水」の
言葉通り、何とも言えない景色が続く。

私の乗った遊覧船は中国人観光客用の船で全て
中国語だが外国人観光客用の船で日本語の
ガイドがついて説明する船もある。

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外国人と中国人と船の料金が違うのが難点で
中国人は外国人の半分の料金で乗れる。

私は中国での就労証明書あるのと中国語が
理解出来ないと面白さも半減してしまう。

写真の女性はヨルダンから中国人に嫁いで
来たと話してくれたが実に中国語が上手かった。

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「桂林旅情12」

「中国写真ライフ」では、
広西自治区「桂林」の写真を公開しています。

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私が18年前始めて桂林を訪れた時は桂林の
空港出口にタクシーの客引きが並んでいた。

駆け引きをして一番料金の安いタクシーに乗り
「最後の日に漓江下りをしたい」と言った所
最初に「漓江下り」を楽しんだ方が良いと言う。

原因は、最後に「漓江下り」を残して、観光地を
目一杯見て廻り疲れた身体で「漓江下り」をしても
軽い船酔いでも景観を楽しむどころではないと言う。

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地元運転手の意見を聞いたほうが無難と同意した。
外国人用の切符を買う段階になって売り切れており
考えた末に、運転手の身分証明書で中国人用の切符を
購入してほしいと頼んだが不安そうな表情をした。
 
今でこそ外国人と中国人の切符価格の差は半分だが
当時は3分の1という安さも手伝ったのと外国人用は
旅行社が押えていて、切符がなかなか取れなかった。

余談だが当時の航空チケットも中国人の倍額だった。

運転手からは「もし見つかっても知りませんよ!」
今回の「漓江下り」は中国人現地ツアーに入り込み
問題なかったが、18年前はかなり厳しかった。

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「桂林旅情13」

「中国写真ライフ」では、
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「漓江下り」は桂林の旅で最も人気の
観光スポットであり出発地の竹江が近づくに
つれて奇岩奇峰を縫うようにタクシーは走った。

1995年当時の事柄で今回の旅の話ではありません。

船着場は幾つも有り、外国人用の船着場と
中国人用の船着場と違っていたために
自分が乗る船の船着場を運転手と探した。

ツアーの場合にはガイドの指示に従えばよいが
個人の場合は運転手も不安で「何が起こっても
私は知りませんからね?」と船まで案内してくれた。

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私の乗る船の前の船がまだ出発してないし全てが
中国人である。10分くらい待ったところで
中国人2人が私の所へ来て「貴方は日本人ですね?」と
いきなり中国語で聞いてきたので少し驚いた。

私に「日本人ですね」と声を掛けた人は運転手の友人で
「偶然にもここで出会い、貴方を守ってやってくれ」と
言い残したそうだ。「船着場で、係官が一人ずつ
切符を確認し中国人かどうか検査しますから貴方が
話せば外国人と分かってしまうので何も話さないように」

「船に乗ってしまえば、何を話しても良いですから
必ず守ってください」と丁寧にゆっくりと話してくれた。

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「桂林旅情14」

「中国写真ライフ」では、
広西自治区「桂林」の写真を公開しています。

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写真は今回の桂林の旅で撮影した画像だが
出来事の内容は1995年始めて一人で桂林へ
来た時の事を思い出しながら書いている。

現地旅行社の人は忙しそうに、小走りで列の
先頭へ行ったが助手の人を私に付けてくれた。

私は「ここでは中国語で話しても良いですか?」と
「問題ないですが問題は船に乗るときです」と語る。

彼は「8年間この仕事やってますが、初めてですよ!」
「何がですか・・?」ととぼけて聞くと困ったように
「日本人と同じ船に乗るとはな~・・・」と・・。 

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今の日中問題など起こっていない時であるので
彼も深い意味合いで話したのではなく、日本からの
観光客ツアーは全て旅行社が便宜を図り日本語の
話せるガイドを付け、当時中国人専用の船に日本人が
紛れ込みフォローをしている彼の真実の言葉だった。

「もし、貴方が日本人と発見された場合、私達の責任に
なってしまいます」説明では「並んでいる間に私達が
船会社に替わって身分証明書等検査し、その時に
発見できれば切符を買い直して頂くことになります」

「もし故意に乗せた事が発覚した場合、会社が罰金刑に
されます」と「では、もし船に乗る時、他の係官が
発見したらどうなります」と続けて聞いたところ・・。
つづきは明日更新します。

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「桂林旅情15」

「中国写真ライフ」では、
広西自治区「桂林」の写真を公開しています。

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「では、もし船に乗る時、他の係官が発見したら
どうなります」と続けて聞いたところ・・。

「先程私共のチーフが書類に書き込みましたので
貴方がしゃべらない限り発見されませんよ」と。

どうして質問を受けて話してはいけないのだろう?

その疑問に彼はこう答えた「貴方は、口が不自由で
話が出来ないと明記しました」と言う。

上手い方法を考え付いたものだと思い、また、あの
タクシーの運転手も粋な計らいをするものだと感心した。

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小雨が降るデッキに立ち川風に吹かれながら目の前に
繰り広がれる奇観を眺めていると不思議な気分に。

下から「食事の用意が出来ましたよ!」と呼びに来てくれた。
「私達には見慣れた景色でも、始めての方は感動されますね~」
「早く食事にしましょうか?」と催促する。

まだシャッターを切っていると「何処も同じ景色ですよ!
先に行けばもっと良い景観の所が有りますよ!」
私を早く下へ降ろさんがための方便とも受け止めれた。

桂林は中国屈指の景勝地として中国のみならず
世界から知られており「山青し、水清し、石美しく
洞窟奇異なり」といわれる山水画の世界が広がる。

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「中国の旅」


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